不倫をする人は「自己承認欲求が強いタイプ」が多いような気がします。
- 自己承認欲求は、
- 自分を認めてほしい
- 他人とは違う自分を知ってほしい
という欲求のことです。
有り体に言えば、「オレって凄えだろ」「こんなに頑張ってるのに会社は分かってくれない」といつも言っているような人ですね。
そんな面倒くさい「カマッテちゃん」を常に相手にできるほど、夫婦生活は刺激に満ちてはいませんね。
子どもがいればなおさらです、ただでさえ子供に手がかかるのに、いちいち旦那の承認欲求を満たす言葉をかけていられません。
別に、夫婦仲が冷めてしまったわけではありません。
恋愛の激しさが、やがて穏やかに家族の愛に形を変えていっただけのことだと思います。
ただ、あなたはそうでも・・・、
家庭で承認欲求を満たされない旦那の目は、外に向かってしまうことがあります。
つまり、不倫ですね。
不倫をされて辛いのは、当然です。
自分が思っている、旦那への信頼感とか家族愛を、彼が同じように感じてくれていないと分かるから辛いんだと思います。
パートナーを束縛・強要してはいけない
わかりやすい承認欲求を求める旦那さんは、基本的に寂しがり屋ですね。
「あんたの母親じゃないんだから」とあなたが思っても、旦那はかまって欲しいのです。
家庭で満たされなくなると、旦那の承認欲求は家庭の外に向かいます。
職場の同僚であったり、部下やパートさんであることもあります。
また、(営業行為として)話を聞いてくれるキャバクラ嬢に向かってしまうかもしれません。
不倫は、承認欲求を満たす行為。
承認欲求は人が人であるため、人格の基礎になっている部分です。
だから、面倒くさくても家庭内でメンテナンスをすることを忘れてはいけません。
不倫が辛くても、やってはいけないのは、
外出を控えさせるような束縛したり、行動をいちいち連絡させるような束縛をすべきではありません。
もともと、「かまって欲しい」だけで不倫をしていたのに、家庭内が窮屈になり居場所を取り上げてしまうことになりかねません。
家庭よりも居心地の良い空間を見つけてしまうと、単なる不倫で終わらなくなるかもしれません。
自由を与えすぎてもいけない
一方で、自由奔放に野放しにしてもいいかといえば、そうでもありません。
よく、不倫の辛さから逃れるために「好きにしなさい!」と言い放って、一切の関わりを絶ってしまう人がいますが逆効果です。
ここで言う逆効果とは、もとの関係を取り戻すうえで逆効果になるということ。
不倫をする旦那にとっては、不倫相手が(家庭では満たされない)承認欲求を満たしてくれて、そのうえ不倫という障害があるから(一時的に)盛り上がっているにすぎません。
時間が経てば、飽きがでてきます。
あなたが旦那に対して、多少の飽きがあったように、旦那も不倫相手に飽きるし、不倫相手も旦那に飽きてしまいます。
結果的に、旦那は戻るべきところに戻ってくるのです。
自由を与えすぎてしまうと、帰る家が居心地が悪くなってしまいます。
一人暮らしを始めてから、たまたま実家に戻ったりすると、2日目には居心地が悪くって帰りたくなりますね。
そのとき、もう自分の家ではないことを実感します。
不倫をする旦那に自由を与え過ぎると、帰るべき家庭を「自分の家ではない」と勘違いしてしまう恐れがあります。
頭にきても「帰ってくるな」と言ってはいけない
「自由にしすぎてもよくない」と同じ理由です。
不倫をしている旦那は、やっぱりあなたに対して背徳感があるんです。
だから、基本的に家庭は居心地の悪い場所です。
ただ、その居心地の悪さが常態化してしまうと危険です。
いっそう寄り付かなくなってしまいます。
あなたは不倫された辛さから逃れるために、「もう帰ってくるな」と遠ざけようとします。
もう、この言葉は負のトリガーとも言えます。
「帰ってくるなと言われたから・・・」免罪符を得て、居心地の良い空間にばかり身を浸すようになってしまいます。
今は、旦那さんの目が不倫相手の方を見ているかもしれません。
でも、あなたのことを愛していることに変わりはないでしょう。
肉が大好きな人が、焼き肉店で食べ放題を楽しんでいるとき、
ちょっと肉に飽きて、お新香を食べているようなものかもしれません。
(不謹慎だったらスミマセン)
でも、なにが言いたいのかというと、愛しているのはずっとあなたであって、不倫相手ではない。あなたがお肉で、不倫相手はお新香です。
もし旦那が本当に不倫相手のことを愛していたら・・・、
すべてを投げうって、不倫相手と一緒になるでしょう。
旦那が、そうしない理由はあなたを愛しているからです。
ほかに合理的な理由がないほど明らかです。
いまは一時、辛いときが続くかもしれません。
でも、拒否したり、遠ざけたりせずに、日頃からメンテナンスをすれば、いずれもと通りの夫婦仲を取り戻すことができるでしょう。