主人と付き合い始めてから、1年がちょっと過ぎたくらいの頃の話です。
その頃の主人は九州から上京し、医学部を卒業して大学病院の研修医になったばかり。
私は短大を出て実家暮らしをしながら眼科に併設されたコンタクトレンズの医療事務で働いていて、会うのは週末だけでした。
まだ彼が一人暮らしをしているアパートにはお風呂がなく、かといって同棲するには二人ともお金がない状況でした。
私が彼の浮気に気づいたのは、彼のアパートの部屋に置いていた私の化粧水の量が減っていることでした。
置き化粧品ということでランコムのシリーズを置いていたのですが、バラのブランドロゴまであった化粧水が、知らぬ間にアルファベットの商品名の部分まで減っている。とても小さなことでしたがすごく気になりました。
また、いつもキレイに掃除して帰っているのに、翌週の金曜日の夜、ベッドのマットレスとフレームの隙間に明るい色の長い髪の毛がついているのを見たときは一瞬息が止まるような感覚になりました。
その当時は私も同じような髪の長さでしたが、「証拠がない確信」に変わった瞬間でした。
(注)この記事は当サイトにお寄せいただいた体験談を一部編集してご紹介しています。
彼が一人で寝ているか確認
彼を問い詰めたいけど、私にはどうしても聞くことができず。
アパートの管理人さんや、近所に住んでいる男友達と仲良くなって「彼女は私」と周りに認識させることくらいしかできませんでした。
困った私は「毎日会いたいのに会えないのはつらいから、声が聞きたい」と言うと、彼は仕事終わりに毎晩かならず電話をくれるようになりました。
じつはこれは私の本音ではなく、私がそばにいないときに一人で寝ているか、という確認のためでした。
後々、同じ医者の夫を持つママ友に打ち明けたとき、「そんなの、目の前でされても平気な子だっているわよ。」と言われて、これは大きな間違いでしたが、そのときは結婚したいという気持ちより、単に好きな人と一緒に居たいという子どもの独占欲に近いものでした。
医者になる人が皆浮気性とは言いませんが、常識を超えるおこがましい女性がそばにつくものです。
しかも、医者の浮気は「よくある話」らしいです。
医者の奥さんになる決意
私は連絡を毎日取るだけでは不安になり、彼が研修期間を終えて転勤になると聞いたとき、私は仕事を辞めてついていく、と当然のように言いました。
彼が「仙台に行く話がある」と言われた時点で、私は「じゃ、仕事辞めるわ。」と即答しました。
それから新たな土地で同棲生活が始まりました。
それでも、彼の浮気癖は治らず、当直や呼び出しという名目で、夜を一人で過ごす日もありました。
友達に「彼氏と朝マックするんだね。」とからかわれたとき、その相手は私ではありませんでした。
ただ、その頃は「医者の奥さんになる」ということが手の届くところまで見えていたので、気づいていないフリというより彼に合わせて騒がず、という感覚でした。
順調に医者の奥さんへの準備
九州男児の彼は故郷に戻る気がなくて、短大卒の一人娘が医者と付き合っているということに私の両親はとても喜んで、年末年始は私の実家で過ごすようにしました。
彼の家庭環境が複雑なので、実の両親よりも私の両親との関係性の方が良くすることに努力もしました。
結婚も焦らせず、同僚の結婚式に何組か参加して意思を固める方向に持っていかせました。
プロポーズも、式場の下見も、ウェディングドレスの試着の付き添いも、細かい打ち合わせも、淡々とこなす彼の素振りに実感がわきませんでした。
婚姻届に記入して、結婚式で高砂席に座ったとき、やっと「彼の奥さんになれた、私が彼の奥さんなんだ」と肌で感じて号泣してしまいました。
すごい幸福感でしたが、半分以上は今まであったつらいことに耐えた勝利感のような、これから起こるすべてに対する優越感のような何とも言えない感情でした。
医者は浮気するもの
ただ、主人が浮気をやめようと思ったことはないと思います。
「来るもの拒まず、去るもの追わず」という感じでしょうか。
転勤があり浮気相手と物理的に会えなくなる環境になりましたが、彼は新しい土地でもやっぱり浮気していました。
彼の浮気が腹立たしくて別れようと思ったことは何度もあります。
別れを一番強く思ったのは、「浮気している」とはじめて気づいたときです。
でも「嫌い」にはなれず、人並みの幸せを求めました。
男性というのは案外、保守的で世間体を気にします。
こちらが騒がなければ家庭に帰って来ます。
やっぱり落ち着いた場所に本能的に帰りたがるのでしょう。
私の妊娠がわかってから切迫流産のおそれがあると、3ヶ月近く入院しました。
その間、特定の彼女も、その場限りの彼女もいたかもしれません。
主人の感情的な性格で、私の愚痴に穏やか答えられる、これが浮気をしているときの私の確信ポイントです。
浮気癖のある医者からマイホームパパへ
今では3人の子どもに恵まれ、休みの日は子どもたちの妖怪ウォッチのガチャガチャに付き添う優しいマイホームパパで愛妻家になりました。
主人と結婚するまでの7年間、葛藤とプライドと愛情と憎しみの中で過ごしました。
3人の子育ては大変でしょ?と言われたりもしますが、あの頃の感情に比べたら穏やかなものです。
車を買うとき、マンションを借りるとき、ママ友との会話、結婚してから「苦労」というものを感じたことがありません。
とても幸せです。
芸能人が浮気や離婚問題でワイドショーを騒がせたとき、「男の人ってそれくらいするわよね」とチクリと言いました。
主人は「そういうもんかな~」ととぼけていましたが、そんな話も振れるくらい私は強くなりました。
女性の幸せというのは一言では言い表せません。
息子たちにはそういうことをさせないように、育てていきたいと思うこの頃です。